『宣伝会議』のWeb記事で「団塊世代の卒業式」という記述を見つけました。
記事を読んで、そうか、団塊世代って、定年はとっくに過ぎているのに、下の世代からはまだ卒業してないと思われているんだなと、新たな発見。
確かに、65歳以上の60%以上の人がなんらかの形で働いているという数字があるし、2兆円ともいわれるシニア消費の中心だし、なんだかんだいっても、十分な存在感があるということなんですね。
それに、人口が多いので、目立つ(目障り?)わけです。
では、いつ卒業するのか。何をして卒業というのか。ターニングポイントは2020年のオリンピックのようです。
団塊から上の世代は2020年を目標にして生きていき、その時を、「自身が生きてきた高度成長期の日本、昭和の日本の物語のフィナーレと感じ、若い世代にすべて譲るとなる」のではないかという説です。
団塊世代が卒業して、本当の意味での「新しい時代」が来ると。
2020年という年がターゲットになるというのは、分かります。私もそうですが、なんとなく、いろんなことで2020年を区切りに考えていたりします。
でも、これは団塊世代に限りません。おそらく当面、日本人は様々な目標を2020年に置くのでしょう。共通の目標の持ちにくい日本人がひとつの目標を持った。
そういう意味で、オリンピックの力はすごいなと思います。
それはそれとして、「若い世代にすべて譲る」って、もうとっくに譲っているのでは? その後の新しい時代って?
こんなにも団塊世代が下の世代にとって気になる存在(ある意味、重圧)だったのかと、むしろ驚きを感じました。
堺屋太一さんが定義した団塊の世代は、2020年には73〜71歳になります。しかし、まだ前期高齢者です。そして、長寿と健康ブームのおかげで、7〜8掛け年齢の時代。気分はむかしの50代後半です。
そうやすやすと社会から卒業するとは思えません。
若い世代が、団塊世代にこうした誤った恐怖心のようなものを持つのは、リタイア後も組織の中に残り、異質な存在、給与が上がらない原因の一つとして認識されているからなのではないでしょうか。
これは高齢者雇用安定法が下の世代に植え付けた負のイメージです。
安心してください。団塊世代に会社や組織への未練はもはやないと思っていいと思います。
しかし、社会を卒業することはきっとないでしょう。
現役世代が属している仕事を中心とした社会とは、別の社会がリタイア世代の中にできつつあります。以前はそれがないので、定年を迎えたら終わった人でした。
別の社会のひとつの例として挙げられるのは、年金をもらいつつも、行政や自治体の手が回らない部分を仕事にして、報酬を得る仕組みです。
ボランティアではありません。ひとことで言えば「コミュニティビジネス」。社会貢献を第一に考えて行う報酬を伴った活動です。活動は福祉の分野に限りません。
まだまだうまくいっている活動は多くないのですが、今までは考えられなかったようなさまざまな取り組みが生まれています。現役時代の豊富な経験を生かした団塊世代ならではのアイデアも生きているのです。
派手ではないが、こうした新しい分野がシニア社会の中に生まれてくることでしょう。
誰にでも、いずれ定年や老年期がやってきます。
人口の多さもあって、いや応なしに新しい仕組みや生き方を選ばざるをえなかった団塊の世代は、リタイア後も新たな道を作り出していくことでしょう。それは、たぶん次の世代にも役立つことになるはずです。
だから、後期高齢者になっても、終りの時になっても、それなりに、何かを残して去っていく。
そういう意味で、団塊の世代は死ぬまで卒業はしないといえるのかもしれません。
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